客車特急「はと」その4
オシ17形は1956(昭和31)年より国鉄高砂・長野工場で改造された食堂車です。食堂車という特殊用途ゆえ、予備車も含めた4両のみの新製では価格も高く不経済なこともあって、連合軍によって接収・返還されたのち遊休車両となっていた1等展望車(マイテ47形、スイテ48形、スイテ38形)や1等寝台車(マイネロフ29形)、2等寝台車(マロネ29形)などの3軸ボギー優等車両の台枠を利用して、ナハ10形に準ずる軽量構造の車体を新製しました。
計画当初は東京〜博多間に新設される特急「あさかぜ」に充当する予定でしたが、軽量車体の採用で車体断面を拡大して定員増が可能となったことから、九州特急よりも収益が確実に見込める東海道本線の特急「つばめ」「はと」に連結されることになりました。
オシ17形は運転面でも営業施策面でも良好であったことから、老朽化している旧形の食堂車を置き換えるため1961(昭和36)年までの間に高砂・長野工場で30両製造されました。
オシ17形は1955(昭和30)年に試作されたナハ10形を祖とする軽量構造の車体を採用し、車体断面はナハネ10形3等寝台車と同様の2950mmに拡大して車体裾部を絞る構造としました。ナハ10形と異なるのは台枠を種車である旧形車両のものから流用し、一部を改造して再利用していることです。
従来の食堂車では通路を挟んで片側に4人掛け、2人掛けテーブルを5列配置して定員30人とする構造でしたが、オシ17形では車体長を一般的な19500mm、車体幅を2950mmに拡大したことから、通路を挟んで両側に4人掛けテーブルを5列配置することが可能となり、定員は40人と大幅に増加しました。
車内構造は定員40人の食堂を挟んで前位から配電室、専務車掌室、手洗器、非常口、喫煙室、後位から物置、側廊下、料理室という構造となり、料理室と側廊下には食品の搬入に便利なように業務用開き戸を設けました。この構造が以降の近代的食堂車の基本形となりました。
食堂の側窓は断熱性と防音性を考慮して2重窓としました。外窓は当時国産化されたばかりの熱線吸収ガラスをHゴムで車体外板と固定し、内側には磨きガラスのアルミサッシを使用して室内側に横開きとなるように取り付けられました。1200x900mmの大型窓を採用したことから車内は明るく見晴らしの良いものになりました。なお、1959(昭和34)年度製からは複層ガラス用いる方式に変更し、それに伴って側窓の寸法が1190mmに変更されました。
乗務員室や喫煙室、勘定台や料理室の側窓は710mm幅、側廊下の側窓は1080mm幅で、いずれもアルミ製の2段サッシとし、上段下降・下段固定式となっています。料理室には磨りガラスを採用しました。
旧形車両からの流用となった床板はキーストンプレートを張ることができず、食堂と喫煙室については従来通り二重の木張りとなり、上面にはリノリウムを張りました。料理室は一重床で防水性を考慮してマグネシアセメントを塗り、その他の床は一重として上面にリノリウムを張りました。
室内は当初から蛍光灯を採用しています。
料理設備は本来であれば電化食堂車として完成させたかったところですが、先のカシ36形で苦い経験があったことから、本形式では石炭レンジと氷式冷蔵庫という従来の方式に戻ってしまいました。
当時の慣例として1等車と食堂車については冷房装置が搭載されていたことから、本形式においても冷房車として落成しました。
冷房装置はCAE81形空気調和装置で、圧縮ユニットは3PK-9A形ディーゼルエンジン、DK形圧縮機、PAG2形交流発電機を一つの吊り枠にまとめて防振ゴムを介して床下に取り付けています。ディーゼルエンジンとベルトで直結された圧縮機で冷凍機を直接駆動し、発電機で冷房装置の電源を得る構造となっており、従来の発電装置(車軸と歯車を介する方式)と比較すると大幅に信頼性が向上しました。圧縮機で圧縮されたフレオンガスは床下に取り付けられた凝縮器で冷却されたのち、喫煙室の天井にある調和装置で冷風となり食堂室内の5つのアネモスタットから通風しました。
CAE81形空気調和装置はその後マシ35形の冷房装置更新の際にも採用されました。
台車は設計当初は乗り心地の良い種車のTR73形3軸ボギーを利用してスシ58形とする予定でしたが、10系客車のTR50形2軸ボギー台車が想定以上に良好な成績を収めたため、重量客車向けにバネを固くしたTR52形を採用してオシ18形として計画しました。しかし、最終的には近畿車輛のKD11、KD11A形シュリーレン式2軸ボギー台車を改良したTR53形台車を採用し、オシ17形として落成したのです。従来の台車が軸箱守で車軸を支持しているのに対し、TR53形台車ではウィングバネの内部にオイルダンパを兼ねた軸箱案内装置で車軸を支持しているのが特徴です。
オシ17形は改造種車が多岐にわたることが特徴で、改造経緯も複雑になっています。
1次車とも言えるオシ17形1〜4は1956(昭和31)年に国鉄高砂工場で落成しました。オシ171はマイフ293(マイネロフ293←マイネロフ373)、オシ172はマイ981(マイテ47←スイテ37030←スイテ37002)、オシ173はスイテ482(スイテ37020)、オシ174はスイテ381(スイテ37000)からそれぞれ改造されました。種車の台枠はそれぞれUF45、UF47、UF47A、UF47でしたが、改造によってUF238、UF236、UF237、UF236となりました。
1・2は特急「つばめ」用として宮原客車区に、3・4は特急「はと」用に品川客車区に配置し、それぞれ淡緑色5号に塗装されて落成されました。落成時期が11月ということもあって空気調和装置の取り付けは配管やダクトのみの準備工事とし、翌年の夏期までに冷房装置を搭載することになりました。
1957(昭和32)年度製のオシ17形5〜9は1956年製の使用実績に基づいて細部の改良等を行い、ぶどう色に塗装されて品川客車区に配置されました。種車はスイテ481形やマハネ29形などの優等客車が選ばれ、高砂工場で改造が行われました。種車の台枠はUF47A、UF45、UF48となり、改造後はそれぞれUF237、UF238、UF238準用となりました。
資材搬入を行いやすくするため、調理室の業務用扉の幅を拡大し、下降式の窓を設置しました。それにあわせて扉内側に取り付けられていた折りたたみ式の椅子は廃止されました。またオシ177からは外妻の縦樋内側に取り付けられていた踏段手摺りを車体の角に移設しました。
1次車では準備工事で落成したCAE81形空気調和装置も、本製造予算車からは落成時から取り付けられての登場となりました。
1958(昭和33)年度製のオシ17形10〜13のうち、10はアジア鉄道首脳者懇談会の特別列車用としてマハネ2931から改造されました。台車はTR53形の枕バネを空気バネに変更したTR57形を履いているのが特徴で、国鉄がこの会議にかける意気込みを伺うことができます。このTR57形台車はオシ1710とマイフ971のみに採用された珍しい台車です。
オシ17形11以降は一部の車体構造が変更されました。
食堂室の側窓が従来の二重窓から複層固定窓に変更となり、窓上の水切りを廃止したことで窓周りがすっきりとしました。また車端部の手洗い所と非常口を廃止して、向かい合わせの腰掛けをコの字型に配列して喫煙室を拡大したことから、車端部の窓配置が若干変わりました。
種車はマハネ29形(UF45)やスシ483(UF45A改)から改造され、台枠はそれぞれUF238、UF238準用となりました。台車はTR53形の揺枕吊装置を改良したTR53A形となり、以降の増備車についても採用されることになりました。
特急「はつかり」に使用するため、塗装は青15号の車体色にクリーム色1号の帯を2本入れた特急色として落成しました。いずれの車両も高砂工場で改造され、品川客車区に配置されました。
1959(昭和34)年度製のオシ17形14・15、2051〜2055はマハ29形から改造されました。外観的な特徴は食堂部分の窓を複層ガラス窓に変更したことにより窓幅、高さが変更されたことに加え、従来車では空気調和装置の点検蓋がある1位側の妻板にあった昇降用手摺りが、本製造分からは料理室の煙突や通風器のある3位側に移動しました。
種車のマハ29形はいろいろな出自があることから、使用した台枠もUF48やUF51があって改造後はUF238準用となりました。
東北線用として落成した車両(2051〜2055)については、使用地域の気候等を考慮して従来の蒸気暖房に加えて電気暖房を搭載しました。列車の電気暖房については一時期東海道線で試験的に運用されましたが、本格的な運用は交流電化が進展してからとなりました。電気暖房は電化区間を走行する機関車から暖房用の電気を供給し、客車の床下に30KVAの変圧器と高圧ヒューズを取り付けて車内の暖房器を暖める方式で、落成当初は電気暖房付きの車両を現在のような原番号+2000という方法が確立されておらず50番台を付与して番台区分を行いました。
14・15は品川客車区に、2050番台は仙台客車区にそれぞれ配置されました。
最終増備となるオシ17形16〜25は1960(昭和35)年度に落成しました。種車はマロネ49形やマハ29形で長野工場、高砂工場で改造されました。
その後交流電化の延伸により2050番台以外の車両にも電気暖房を取り付けることとなり、1961(昭和36)年から1970(昭和45)年度にかけて電気暖房装置の取り付け工事を行いました。対象車両は2005、2006、2008、2016〜2022の10両となり、この工事によって2050番台との差違はなくなりました。
全国各地の長距離急行列車に連結されて隆盛を誇ったオシ17形食堂車でしたが、そのターニングポイントとなったのは1972(昭和47)年11月に起きた北陸トンネル列車火災事故でした。急行「きたぐに」で運用中であったオシ17形2018から出火し多数の死傷者を出してしまったのです。この事故により当該車両である2018も含めた全車が使用停止処置となり、1973(昭和48)年度末までには証拠物件以外の車両をのぞき廃車されました。これを契機に在来線の客車食堂車は廃止の方向へと舵が切られてしまったのです。
北陸トンネル事故によって余剰となったオシ17形のうち、2055と2052は交直流電気機関車の教習車としてオヤ17形1、2に改造されました。オヤ171形は1973(昭和48)年度に土崎工場で改造されて秋田客貨車区に、オヤ172形は1974(昭和49)年度に新津工場で改造されて新津客貨車区に配置されました。
こうして数奇な運命をたどったオシ17形食堂車ですが、その功績は車体断面の拡大による定員増と列車食堂の近代化に貢献したことでした。その精神は夜行列車のサロンカーと言われたオシ16形に受け継がれ、ビュフェという簡易的なものではありますが調理機器を完全に電化し、やがて本格的な電化食堂車ナシ20形へと続いていったのです。
しかし、この事故を契機に在来線の食堂車は衰退の一途をたどっていったのも事実で、急行列車における食堂車の廃止以降は新幹線と一部の昼行特急列車と寝台特急列車のみの営業となり、それもいつしか全廃となってしまいました。車窓の風景を楽しみながら温かな食事をとる機会は残念ながらなくなってしまったのです。
現在は本州と北海道を結ぶ一部の特急列車(北斗星、トワイライト・エクスプレス、カシオペア)しか食堂車は連結されておらず、従来のように気軽に利用できる存在ではありません。しかも近々に控えた北海道新幹線の開業により、それらの列車は廃止が打ち出され「シ」という車両はまさに風前の灯火とも言えましょう。
このブログの原稿を書き始めたときにトミックスからオシ17形の製品化が予告され、奇しくも天賞堂とトミックス両社の競作となりました。
天賞堂のオシ17形は実物が淡緑色5号で塗装された1次車(1~4)のなかでも車番を印刷済みとした2を、トミックスは食堂室の窓が複層固定式ガラスとなり窓上部の水切りが廃止された3次車(11以降)の車両のなかでも、発電機関を更新した晩年の姿で製品化しています。そこで本ブログでは天賞堂のオシ17形を基本としながら、トミックス製品も含めて紹介していきたいと思います。
31年度製(1~4)と33年度製(11~)との相違点はいくつかありますが、大きな変更点は食堂室の窓構造が変更されたことです。31年度製造車は2重窓で窓上部に水切りが取り付けられていたのに対し、増備車は複層固定式ガラスを採用したことで窓寸法が変わり、窓上部の水切りも廃止されました。
33年度製造車では前年度の部分的な改良(業務用扉の拡大と窓の設置)を経たのち、手洗い器と非常用扉を廃止して喫煙室を拡大し、それに伴って車端部の窓配置が変更されました。また従来は1位側にあった屋根昇降用の手摺と屋根の手摺位置が増備車では料理室の煙突がある3位側に変更されました。
シュリーレン式のTR53台車についても増備車からは枕バネ部分を変更したTR53Aとなりました。
以上のような相違点を踏まえつつ、それぞれのモデルを見ていくことにしましょう。
天賞堂もトミックスもそれぞれのプロトタイプを忠実に再現しているように思います。車体全体の構造やディテールについては前回のナロ10形で記したとおり、ほぼ満足のいく仕上がりとなっています。
全体的には天賞堂製はディテールなどの線が濃くてしっかりとした印象を、トミックス製は線が細くて繊細な印象を受けます。
大きな特徴となる食堂の固定窓についても表現方法が異なっており、天賞堂の製品ではHゴムも含めて窓全周を銀色に塗装して表現しているのに対し、トミックス製は複層固定窓のHゴムのみを表現しています。窓ガラスの平面性・透明性も良好で、すでに手慣れた感じを受けます。
専務車掌室や喫煙室、そして料理室や側廊下の2段窓は天賞堂の製品では窓周囲の枠も銀色で表現しているのに対し、トミックスの製品では縦桟を省略しています。ナロ10形の項でも述べたように窓枠全周を表現してしまうと、どうしてもうるさくなってしまうので、個人的にはトミックスの製品のほうがすっきりとしていて好感が持てます。
この大きな窓からは室内がよく見えるので、テーブルや椅子、そして床板を塗り分けた天賞堂の製品に軍配が上がります。人形を乗せてテーブルの上を小物で飾り立てればかなり見栄えがしそうです。食堂の窓上部にある水切りの有無は実物通りとなっていますが、その他の部分については天賞堂製は線が太く、トミックス製品ではやや細めに表現されています。
料理室の業務用扉についても増備車ではわずかに幅が拡がりました。これは模型的にも1mm程度の差でしかありませんがしっかりと再現されています。この扉には後の設計変更で2段式の窓が取り付けられています。
妻板のディテールは前回のナロ10形での項と同じです。
10系客車は鋼板屋根なのでキャンバス押さえがありませんが、車体と屋根との接合部も隙間なく、このあたりの造作はほとんど問題がないでしょう。
車体側面の雨樋から妻板の縦樋を結ぶ漏斗もあっさりと表現されており、幌枠ステー、踏み台用の手摺り、検査票差し、銘板、尾灯掛けや踏み板なども妻板と一体のモールドで適度に表現されています。なによりも細かなレタリング類が施されているのがいいですね。ちなみにトミックス製品では幌枠ステーや踏み台用の手摺りについては別パーツで添付されており、ユーザーが自分で取り付けるようにして精密感を出しています。
屋根昇降用の手摺りは当初は空気調和器のある1位側にありましたが、14〜は煙突のある3位側に移設されました。天賞堂の製品がこの手摺りを省略しているのは、新製時にはなかったからなのかもしれません。それに対してトミックスの製品では3位側に移設された姿を再現していますが、ご丁寧にも1位側の手摺りが表現されているのは愛嬌でしょうか。
屋根上には1位側に空気調和装置の蓋、3位側には料理室の煙突や通風器があるのみで比較的あっさりとしています。特にベンチレーターについては両社に細かな差異があって、それぞれの表現に特徴があって面白いところです。どちらもベースに本体を被せる構造の2ピースになっていて、天賞堂は組み立て済み、トミックス製はユーザーがランナーから切り離して組み立てる方式を採用しています。
TR53台車はシュリーレン式の台車として近畿車輛のKD11形を国鉄向けに設計したもので、オシ171~9に使用されました。その後アジア鉄道首脳懇談大会の特別列車用に製造されたオシ1710のみTR53の枕バネを空気バネに変更したTR57を履いていましたが、オシ1711以降の車両についてはその空気バネをコイルバネに変更したTR53Aを使用することになりました。
写真上段は天賞堂製のTR53、写真下段はトミックスのTR53Aですが、揺れ枕装置を中心に両者の差異を模型でも再現しているのには驚きです。ちなみに天賞堂では第3弾となる「はつかり」で3次車を製品化しましたが、こちらもしっかりとTR53Aを再現しています。
台車枠のディテールは両社とも味わいが異なります。軸受けを兼ねた集電板の立ち上がりが天賞堂では奥まって目立たないのに対し、トミックスのそれは表面に近いのでやや目立ってしまうことでしょうか。天賞堂製はスポーク車輪を、トミックス製品ではプレート車輪を採用しています。両社とも車輪の転がりは良好です。
床下機器は種車が多岐にわたる旧形客車の台枠を使用していることや、食堂車という特殊用途もあって賑やかに並んでいます。これがもし当初の計画通りにオシ58形として3軸ボギー台車を使用していたならいったいどうなっていたのか、ちょっと興味深く思います。
台枠は中梁、側梁、横梁、枕梁といった旧形車独特の構造に、天賞堂お得意の縦に張った床板を表現しています。ここにブレーキ主管やテコと引き棒、そして暖房トラップなどを一体でモールドし、別成型の床下器具を取り付けているのです。実物ではブレーキシリンダー、エアータンク、蓄電池箱、附属品箱などは種車のものを流用し、凝縮装置、圧縮機装置、燃料タンクといった冷房関連機器や水タンクなどは新製しているので、新旧の対比がおもしろくまさに混沌(カオス)ワールドになっています。
それぞれの床下器具は細かなディテールが施されており、なかでも圧縮機装置は後年になって補強の対象となってしまった吊り枠がしっかりと再現されていますし、ユニット背面のディーゼル機関から発電機と凝縮器を結ぶベルトやプーリーが細かく表現されているのは驚きです。
このCAE81形冷房装置(空気調和装置)はディーゼル機関と直結した凝縮器と発電機を凝縮ユニットとして一つの吊り台に収めたのが特徴ですが、実車ではこの吊り台の強度が不足していたのか運転中の異常振動を生じたことから、後年になって吊り台を補強しています。
天賞堂製はこの吊り台が補強される前のオリジナルの姿を、トミックス製品はこの吊り枠を強固なものに載せ替えた晩年の姿を再現しています。なお、凝縮器についてはそれぞれで若干寸法の差があるようです。
天賞堂のオシ17形は特急「はつかり」を製品化するにあたり、トミックスと同様の3次車以降をプロトタイプとして製品化しました。これで1〜4(淡緑色5号)、11〜13の特急色、そして11以降の一般色(晩年)の3種類が製品化されたことになりました。両社ともすでに手慣れた製品となっており、その点では手に取ることに不安はありません。
数年前まではこんな展開になるなんて誰が予想していたでしょうか。まさにうれしい悲鳴であるとともに、熟成中となっているフェニックスの真鍮製キットの去就についても考えなければいけません。プラ製品の台頭はこんなところにも一石を投じてしまうのです。
今回のブログは車種として消滅する運命にある食堂車に敬意を表して、多少長くなってしまいました。まだまだ書き足りないこともあるのですが、それもこれも私自身が食堂車というものに思い入れがあったからなのです。
来年の春以降、在来線を走行する食堂車には大きな変革が訪れるものと思われますが、新たなコンセプトによるレストラン列車が各地に出現したことは、食堂車愛好家としてとても好ましく思っています。
やはり、車窓を楽しみながら温かな食事をすることが、旅人にとってなによりも御馳走だということを、そして旅の思い出に繋がるということを記して、筆を置きたいと思います。






























































































































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